(元)限界高専生の限界日記

元留年生。某化学メーカー工場勤務。

5年生になってからというもの、1度も授業を「理解」ったためしがない。きっと遠隔授業のせいに違いない!

まあ、それ以前は完全に理解していたのか?と聞かれるとなんもわかってなかったのだが。

突如始まる遠隔授業 学生、教官、阿鼻叫喚

春休みのうちからなんとなくヤバいな~~、とは思っていたのだ。海の向こうで暴れまわっていた感染症がいつしか対岸の火事なんて言ってられない状況になり、世界中が突如地獄と化していく。だんだんテレビの話題がアレ(できるだけ『新型コロナウイルス』という名前を目にしたくないのでお茶を濁しまくっています)一色になり、父はテレワークを開始し、僕と友人のタイ旅行計画が頓挫してしまう。

様々な店舗や学校が休みになっていくなか、弊校も同じように始業式を遅らせるという連絡が入った。初めは「うっひょ~~い!春休みが増えたよやったねたえちゃん」くらいのノリでいたのだが(←最悪)、卒業研究や就活のことを考えるとよいはずもない。それから対面で行うはずだった始業式をオンラインで済まし、授業開始予定日から1か月が過ぎようとしていた辺りから本格的に遠隔授業開始のお知らせが届いた。これがな~かなかにしんどかった。もう遠隔授業が始まってから1か月ほど経つが、いまだにうまくいかないことが多い。先生も同じようにしんどいらしい。そりゃあそうだよな、今まで何年も授業やってきた中でこんな形態の授業なんてしたことないんだし。

「家で集中できないマン」の苦労

世界には2種類の人間がいる。自宅で仕事ができる人間とできない人間だ。 出典:pha「ひきこもらない」、幻冬舎(2017)

僕は家で集中できない。全くと言っていいほどできない。まあ家の外でもあんまり集中できないけど。

だいいち、僕は自分の部屋を集中できる場所としてカスタマイズしていない。ちゃぶ台の前にはテレビ、上にはゲームキューブ(最近風のタクトばっかりやっています)、右にはベッド、左には積読本で満たされた本棚、手元にはスマートフォン。こんな環境で集中しろという方が難しい。なら別の場所でやれという話だが、あいにくリビングには父という先客がいる。学業のためとはいえ、さすがに仕事の邪魔はできない。基本的に僕は誘惑に弱いので、授業中先生の話が全く頭に入ってこなかったり限界感を感じたらすぐにベッドに飛び込んだり積読本に手をかけたりスマホtwitterをしたり昔のwindowsに元から入ってたピンボールゲーム※で遊び始めたりしてしまう。

※これ、windows10には入っていません。わざわざネットでダウンロードしてまでこのピンボールゲームで遊ぶダメ人間の極み。

f:id:TsumTsumSenpai:20200608200135p:plain

windowsに元から入ってるピンボールゲームとはこれのことです

 

先生の監視の目がないと人間はここまで堕落するものなのか、と自分で自分に失望してしまった…こんな体たらくで授業が頭に入るわけもなく、とうとう今までやってきてしまった。

 

精神ースライドーを加速させろ

f:id:TsumTsumSenpai:20200608204142j:plain

遠隔授業で苦労しているのは、何も学生だけではない。いや、どちらかといえば先生の方が苦労しているのではないだろうか。高専の先生なのでPCの使い方については問題ないだろう(たぶん)。問題は確立した手法がないことと学生の顔が見えないことだ。

まず、確立した遠隔授業のやり方というのが存在しないので、出席の確認、授業の進め方、課題の出し方までかなり人によって違う。授業開始時にカメラとマイクを通じて出席をとる先生もいれば、フォームを使った出席確認をとる先生や課題の提出をもって出席とする先生もいる。学生からしてみれば、全部方法が一定している方がいいに決まっている。

そして、学生の顔が見えないこと。普段から学生というのは授業に対してレスポンスをしない生き物だが(ごめんなさい)、対面授業の場合、少なくとも表情や反応を見たりすることで多少状況をつかむことができる。遠隔授業の場合、これをすることすらできない。ひたすら壁に向かって話しかけるようなものである。そう考えると先生マジつれぇな…

なので、授業のスピードが上がってしまうことがままある。パワーポイントのスライドを授業に使っている先生ならなおさらだ。スライドにはひたすら難しい数式と図がずらり、先生はなんか喋ってるけどなんもわからん、気が付いたら次のスライドに行ってる、さらになんも分からん…という悪循環が自分の中で起こっている。

PCで授業を受けているとき、スクリーンショットが撮れるのはとても助かる。頭に入らなくても、とりあえず何も考えずWindowsボタンとPrtScrキーを押せば少なくとも記録することはできるからだ。唯一の問題は、記録するだけでは理解できないことくらいだ。

ならば先生に頼らず自分で勉強すれば解決する話ではないか、と思う方もいることだろう。確かにその案は現実的かもしれない。私がすぐにベッドに飛び込んだり積読本に手をかけたりスマホtwitterをしたり昔のwindowsに元から入ってたピンボールゲームで遊び始めたりしてしまうような学生でなければ。

 

弊校、遠隔授業やめるってよ

少し前に全校宛にメールが届いた。どうやら緊急事態宣言の終了を受けて弊校もそろそろ対面授業を開始するらしい。ようやくだ…

学校に行けるということをこれほど感謝した日はない。遠隔授業/業務が性に合っていた人もきっと多いかと思うが、少なくとも自分には合わなかったようだ。意外だった。

昔からどちらかといえばインドア派で、休日はゆっくりとゲームや読書、ネットサーフィンに興じてきた人生だった。外の世界も悪くないが、ずっと居続けるには刺激が強すぎた。こんな人間なので、てっきり家の中で勉強するのは最高かと思っていた。

今回、このような形で半強制的引きこもり遠隔授業生活を経験して、家の中に真面目な学業を持ち込むことの息苦しさを感じた。リラックスと集中の気分の切り替えがうまくいかなかった。ある意味、家の中と学校がそれぞれリラックス/集中を分け隔てる別の聖域のような存在になっていたのだろう。

外の刺激も、内向的な自分にとって程よい刺激となっていたのだと認識した。家にいると、どうしても刺激がなくダラダラしたり意味もなく落ち込んだりしてしまうことが多かった。これから週5日実際に学校に出向くことで少しは気晴らしになるだろう。

どこで読んだかは忘れたが、どこかのえらい人が「人は環境に左右される」的なことを言っていた。周りの環境に影響されて人は真面目になったりだらけたりはっちゃけたりするものだということだ。その説について自分は今まで反対するでも賛成するでもなかったが、今なら心から賛成することができる。たしかに身の回りの環境は大事だよ…

 

学校が始まったら学校近くにあるインド料理店に行きたいなぁ。焼き立てのナンが食べ放題で最高なんだよね…てかやってるのかな?せっかく出向いてテイクアウトのみです、とか閉店ガラガラだったら悲しい。