(元)限界高専生の限界日記

元留年生。某化学メーカー工場勤務。

そして科学少年は限界高専生となり、やがて労働者となった

今年度の授業が全て完了し、あとは卒業を待つのみとなった*1

 

引っ越し準備や卒研の引継ぎ作業などもあり、そこまで暇を持て余しているわけではないが、インターネットの端っこに存在するようなしないような零細チラシ裏ブログに卒業文集と呼ぶには退廃的すぎる個人的な懺悔を書き散らすほどには暇があるので、卒業文集と呼ぶには退廃的すぎる個人的な懺悔を書き散らしたいと思う。

 

高専に入学したことが本当に正しい選択であったかどうか、正直なところよく分からない。

 

なぜなら、高校生としての人生を送ったことがないからだ。さらに言うと、高校生の友人もほぼいないので人の体験談から想像することも叶わない。

 

ただ、高専生でたまに言ってるのを見かける「俺がモテない/青春を謳歌していない/オタクを抜け出せないのはどう考えても高専が悪い」という風には思わない。たぶん自分は高専に行こうが高校に行こうが、どのような世界線であれ今のようなオタクくんだっただろうと思う。

 

(余談だが、世間一般の高専のイメージにありがちな「クラスメイトはみんなおとなしいオタク」というのは、少なくとも自分の観測上ではあまり正しいとはいえない。普通に髪色を変えたり、オシャレを楽しんだり、恋愛をしたりする、所謂「あちら側」も多い。オタク的な人への風当たりは強くなく、オタクにとって生きやすい世界であることは事実だが。)

 

まあ、いろいろ実験をしたり、レポートを書いたり、留年したりしてみた結論として、なんだかんだ悪い選択ではなかったとは思う。

元はといえば、実験をたくさんしたいがために高専に来たのだ。目的は十分に達成された。ただ、中学生の自分には理科の授業と科学(化学の知識に限らず、その知識を用いてさらに深い学びを得ること)の違いが分かっていなかったというだけに過ぎない。

 

科学に興味を持ち始めたのはたぶん小学生の中ほどだったと思う。テレビで米村でんじろう氏がサイエンスショーをやったり、地元の科学館にある様々な展示物に目を光らせていた記憶がある。

小学生が興味を持ったものに注ぐエネルギーというのは凄まじく、図書館に本あればこもって読みふけり(学研のひみつシリーズはもはや聖書)、大学にイベントあれば出向いて話を聞き(たのしい実験ショーはいいが、大学の先生の話は小学生には難解すぎた)人生を送っていた。何か功績を上げていれば、間違いなく伝記にのるエピソードだ。

 

そんなさなか、高専の物質工学科の存在を知った自分がそこに憧れないはずがなかった。小学校や中学校では月1回あるかないかレベルの実験が毎週できて、高校生の年齢から大学レベルのことが学べて、しかも将来は化学の分野で活躍する一流のエンジニアに…なんて宣伝文句につられて、高専入学のための勉強を始めた。中3の夏から。

学校にもよると思うが、自分の所属する高専は入試が複数種類ある。ふつうの試験の学力入試、成績上位者のみ受けられる校長推薦入試、そして、実技試験、小論文、面接より評価する体験入試だ。

成績は数学よわよわマンだったので推薦入試は受けられず、まず体験入試を受けた。

実技試験と聞いていたので、きっと実験装置の取り扱いを見るのだろうと思い、理科の先生の助けを受けて練習を何度も行った。小論文と面接は塾で添削を受けた。

もう今の僕に死角はない。かかってこい、高専。そう思っていた。口下手で、人の目を見て話せなくて、赤の他人と議論なんてしようものならストレスで寝込むような自分でも、手を動かす実技ならできる、と。

 

実技試験の内容はチームでのコミュニケーションだった。

 

終わったな、と思った。知らない人と意思疎通するのも嫌なのに、テーブルに置かれた問題をそこに同居する4人と共に解決せよ、しかも回答を紙にまとめて発表しろ、と。

案の定自分は下を向き続け、たまにボソボソと同意の旨を表明し、回答の発表もまともにやらなかった。その時は過度に緊張していて覚えていないのだけど、同席した受験生のうち一部は受かっていたそうだ。

小論文と面接は正直覚えていない。

ただ、結果としては、不合格だった。まあそうなるのはわかる。実技試験であんなことをわざわざやったのは、「チームのなかで役割分担を行い、自分に割り当てられた仕事をこなす」という基本的な組織の働きができる人間が求められているからだろう。少なくとも、社会で活躍する技術者を養成する学校が、何も言わない、何もしない、感じもよくない根暗なインターネット中毒の人間を合格させる道理はない。

なので、学力で殴ることにした。いつだって、力こそパワーなのだ。

落ちてから猛勉強し、学力試験で合格した。後から聞いたが、体験で落ちて学力で受かるのは珍しいそうだ。あれだけ勉強したのは、後にも先にもこの一回のみだった。

かくして、自分は高専という地獄の門をくぐることとなった。「汝、一切の望みを捨てよ」とは書いていなかったので法律違反だと思う。

 

ここで、1年から今までの経験を全部洗いざらい書くと途中でダルくなって下書き記事のまま放置されることになるので、あえて書かない。

 

 

 高専生活でのいろいろな経験を通じ、自分が学んだことを以下に示す。とはいっても、化学知識のほうではない。もっと抽象的で、自分が覚えておきたいことだ。

 

・努力ではどうにもならないことがある

 最初の項目がこれというのもどうかと思うが、実際これは一番痛感した。努力してもコミュ力おばけになれない人はなれないし、留年もする。

自堕落なように聞こえるし、実際そうだが、努力で全て解決すると考える方がずっと危険だと思う。それは心と体を一気に破滅へと導きかねない。

努力で全てが解決するというのは、こじらせると「問題が解決しないのは自分の努力が足りないからだ、全部自分のせいだ」という考えに変換される。本当はただタイミングが悪かったり、根本的なやり方や考え方などに問題があったりするだけなのに、それをすべて自分のせいにしてしまう。壁が高くなればなるほど努力量は増えるが、その一方で望ましい結果があまり得られないので、やがて疲弊し全てどうでもよくなってくる。

そういう時は、一度立ち止まって考えてみるのがいい。本当にこれは自分の努力で解決できる問題か?もしそうでなければ、根本的な方法を見直すべきか?と。努力や工夫でどうにもならないことは、むしろ深く悩むのをあきらめた方がよい時もある。本当に努力を注ぐべき対象に集中砲火をするために。

ちょっとアドラー心理学に近しいものがあるかもしれない。自分の課題ではないことに首を突っ込んでいられるほど、人のエネルギーは有り余っていない。

 

・楽するための努力を惜しまない

 禅問答ではない。人は生きていると様々なタスクに直面する。それらはだいたい非常に面倒くさい。そういう時、面倒くさいタスクをいかに楽にできるか?ということを考える。同じ結果が得られるのなら楽な方法を使わない手はない。本当に努力を注ぐべきなのは、その楽に解決する方法を模索することだ。例えば、自炊するとき料理の手間を省くために大鍋で数日分の料理を一気に作ったり、いちいち家事のスケジュールを考える必要がないように曜日を決めておく・・・みたいな話だ。

「若いころの苦労は買ってでもすべきだ」という言葉はこの考えと反しているようだが、案外そうでもない。なぜなら、人は老化が進むごとに学習能力が低下していき、新しいことを学び記憶するのが大変になるからだ。

 

・寝ろ

ここで突然具体的なアドバイスが来た。睡眠は本当に重要だ。睡眠を削りまくるとまず体にガタがきて、つぎに心が荒み始める。そうすると作業効率が落ち、更に睡眠を削る必要性が出てくる。さらに心身が疲弊し、また作業効率が落ち、そして終わる。

終わるとは具体的にどういうことかというと、留年するということである。

なるべく日付が変わるまでには寝るべきだし、睡眠時間としては7時間以上は寝た方がいい(本当は8時間寝たいけど、そこまで寝ると逆に次の日の夜眠れなくなる)

睡眠さえ守っていれば、だいたい人生はどうにかなる。それが高専生活後半で学んだことだ。

あと、睡眠をとることそのものだけでなくいい睡眠をとるために普段の行動を気を付けるのも結構効果がある。たとえば、自分はカフェインが効きやすい体質なので日が沈んだらカフェインを摂らないとか、夜十時を超えたら液晶画面を見ないようにするとか(これはもはや形骸化しているけど)、GABAのサプリを飲むとかをやっている。

 

コンサータを飲め

また具体的&対象が限られすぎているアドバイスだが、これは本当にそう。

自分はADHD(診断済み)で、コンサータ36mgを毎日飲んでいる。薬効を文字で表現するのは難しいが、無理やり例えるならば「しっかり眠った土曜の朝の調子が毎日続く」ような感じだ。自分あやしいな…と思ったならば行った方がいい。

 

 

毎回ちゃんと文章の構成を練らないのでぐちゃぐちゃの脳内をそのまま書き上げたような文章だが、ここでいったん切っておく。

*1:執筆開始時