(元)限界高専生の限界日記

元留年生。某化学メーカー工場勤務。

アマゾンプライムビデオでポケモンばかり見ている

 

 

現実世界も電脳世界もピリピリした状態が続いている。救いは物語の中にしかない。

争いを好まぬ種族

あのウイルスが初めて観測されたニュースから結構な日がたった。あれから世界中に感染は広がり、ステイホームが叫ばれた。人々は互いを恐れ、時に憎み、時に家でプレイステーションをする日々が続いた。インターネットには暇人が溢れ、常にどこかで争っていた。

そうこうしているうちにもやれなんとか法案だの、やれ誹謗中傷だの、やれなんとか差別だの、人々はめんどくさい問題を起こしまくる。そのような争いを見ていると、それが正しいかどうかに関係なくつらい気持ちになる。

こういうことをツイッターでいうと何かしらの怒られが発生しそうなので一応明記しておくが、私は争うこと自体を問題だとは考えていない。自身の権利や自由のために声を上げ、勝ち取るために戦うことを否定するつもりなど毛頭ない。問題は、今の自分にそのような問題について頭に入れたり、考えたりするほどの脳の余裕がないことなのだ。

差別や政治の問題が人間全体にとって大事なことだということはわかるが、今の僕という人間にとっては化学工学の単位や就職について考えることの方がよっぽど深刻で早急に解決するべき問題だ。世界の問題に目を向けるのは結構だが、自分のことも何とかなってない人が他人の問題に首を突っ込んでいる場合ではないと思う。(と、自分の考えを詭弁で正当化してみる)

そのように毎日がカツカツであることに加え、元から様々な事象に対して必要以上に心を痛めることが多いものなので、現実とインターネット上で起きる争いを見る度に心のHPというか、SAN値というか、そういうものが音を立てて削れていくのを感じる。

普段なら現実で受けた傷をインターネットの世界(自分が「インターネット」というときは、だいたいツイッターのことをさします)で癒していたのだが、今では現実でもインターネットでも争いが絶えない。居場所がなくなった自分は、アニメに逃げることにした。

現実がつらいときほど、アニメはたのしい

まあ今までそこまで色々なアニメに入れ込んでいたわけではないんですけどね。唯一胸を張ってガチでハマっていたといえるものといえばMy Little Pony Friendship is Magic(邦題:マイリトルポニー トモダチは魔法)だけだ。ここでこれについて語ると本が一冊できるので割愛するけど…

思えばしばらくMLPからも離れていた。人生がそこそこいい方向に動いていたのと、学業が忙しくなってしまったからだろう。あと最終回を迎えてしまったから…

あと最近はポケモンソードシールドの影響で新しいポケモンのアニメをちょこちょこ観ている。ラビフットかわいいよラビフット

今回、上に述べた通り心を癒す場所がなかった自分は、登録しっぱなしであまり恩恵を受けていなかったアマゾンプライムビデオに赴き心の平穏をもたらしてくれる作品を探していた。というより、もう観るものは決めていた。プライムビデオでは初代から最新までポケモンのアニメが見れるのだ。

マサラタウン出身のサトシが様々な世界をポケモンとともに旅する。この基本的な形は昔から今まで変わらない。すごく昔ポケモンのアニメをよく見ていた記憶があるが、内容はほぼ覚えていない。

働きたくない自分でもなんとか入りたいと思えた企業からお祈られ、授業がなんも分からず、卒研が難航していた心に、この楽しいアニメはよく沁みる。

ポケモンはかわいいし、バトルはするが単純明快でかっこいい。グロテスクだったり過激だったりすることは自分の知っている限りでは一度もないし、それでいてしっかりやるときはかなり骨のあるストーリーがある。

多分、1年前の自分がこれを見ていても今ほどしっかり見入ることはなかっただろう。これは体感的なものだが、アニメは現実がつらいときほど没頭できる(どちらかというと、依存とか執着と呼んだ方が適切かもしれない)留年した僕が言うんだから間違いない(爆)。そう考えると、つらい時「今アニメ没頭チャンスじゃんラッキー!」くらいの心持ちでいられてなかなかいい感じなのではないだろうか?(要検証)

「ながら見」ができない

よく、同人作家などが同人誌作成をしながら作業用BGMのようにアニメを再生しているというツイートを見る。それを行っている人からすると常に耳や目に程よい刺激が入ってくるおかげで作業がはかどるのだろうけれど、自分にはどうにもそれができない。両方に意識を向けてしまい、結局どちらも中途半端にしか手につかないのだ。

完全に個人的なこだわりでしかないのだが、何かの傍らでアニメや映画を見るという行為が苦手だ。ご飯食べながら…くらいならなんとかできるけど。なんとなく「せっかく時間をとって観るからには、正面からしっかり向き合わねば」といった風に考えてしまい、ながら見は作品に申し訳ないように考えてしまう。

そのせいで、もともと気軽に見れるはずだったアニメなどからさえ足が遠のいてしまい、その代わり適当に見れるtwitterを開き場末の喧嘩を見て勝手に心を痛めたりするのだ。最悪の悪循環か?

これからはもう少し雑に、肩の力を抜いて色々観漁っていこうと考えている。休養ってそういうものだろう。